【爆死】『バランワンダーワールド』の中裕司さんがスクエニ退職!開発時に社長から「ワンチャンスな」と言われていた…

『バランワンダーワールド』を手掛けたゲームクリエイターの中裕司さんフェイスブックの職歴から、2021年4月30日にスクウェアエニックスを退職していたことが判明中裕司さんは『バラン』の企画を立ち上げるとき、スクエニ社長から「ワンチャンス」と言われていた
動画内24分40秒あたり~中裕司さん「どんどん探索していくような遊びがプラットフォームアクションゲームのいいところだと思うんですけど、最近は銃で撃って敵を倒すみたいなのが増えていてですね。」「本当は僕はずっとアクションゲーム作っていたいくらいなんですけど、なかなかアクションゲームを作らせていただける機会が巡ってこなくてですね、アクションゲームっていうのは全年齢の皆さんに安心して遊んでいただけるゲームだと思いますので」IGNのクラベエスラさん「今回チャンスが巡ってきたきっかけは?」中裕司さん「スクエニに入社して、最初社長に『ARかアクションゲームか』って2つお題を出されてまして、企画を色々練っていたんですけど、あるタイミングで『アクションゲームにしよっか』と決断されまして」「『え!?アクションゲームでいいんですか!?』と聞き返したら、『ワンチャンスな』って言われて…一回だけだよって」クラベエスラさん「でもブランド(バランカンパニー)立ち上げましたよね?」中裕司さん「ワンチャンスじゃ終わらないぞ!っていう僕の意気込みです」パッケージ版『バラン』の国内売り上げは2,000本以下(ファミ通の売り上げランキングで集計不能)北米eShopチャートではトップ30に入らず、英国チャートでもトップ40未満だった
スクエニのアクションゲームブランド『バランカンパニー』公式サイト
中 裕司(なか ゆうじ、1965年9月17日 - )は、大阪府枚方市出身のゲームクリエイター。株式会社プロペ代表取締役社長。『ソニックシリーズ』と『ファンタシースターオンライン』の製作者。大阪府立西野田工業高等学校電気科卒業。セガ在籍時ファンタシースターII 還らざる時の終わりに(1989年3月21日、MD)プログラマー、プロデューサーソニックザヘッジホッグ3(1994年5月27日、MD)リードプログラマー、プロデューサーソニック&ナックルズ(1994年10月18日、MD)リードプログラマー、プロデューサーバーニングレンジャー(1998年2月26日、SS)プロデューサーソニックアドベンチャー(1998年12月23日、DC)プロデューサーチューチューロケット!(1999年11月11日、DC)ディレクター、プロデューサーファンタシースターオンライン(2000年12月21日、DC)プロデューサーソニックアドベンチャー2(2001年6月23日、DC)プロデューサーソニックアドバンス(2001年12月20日、GBA)プロデューサーソニックバトル(2003年12月4日、GBA)プロデューサーソニック ヒーローズ(2003年12月30日、PS2GCXB)プロデューサーASTRO BOY 鉄腕アトム(2004年3月18日、PS2)チーフプロデューサーソニックアドバンス3(2004年6月17日、GBA)プロデューサーきみのためなら死ねる(2004年12月2日、DS)チーフプロデューサーソニック ジェムズ コレクション(2005年8月11日、PS2GC)チーフプロデューサー赤ちゃんはどこからくるの?(2005年10月20日、DS)シャドウザヘッジホッグ(2005年12月15日、PS2GCXB)プロデューサーソニックライダーズ(2006年2月23日、PS2GCXB)エグゼクティブプロデューサーなどプロペ在籍時ファミリーフィッシング(2011年8月4日、Wii)プロデューサーすれちがい迷宮(ニンテンドー3DSの内蔵ソフト『すれちがいMii広場』の追加コンテンツ)プロデューサーロデアザスカイソルジャー(2015年4月2日、ニンテンドー3DSWii U)エグゼクティブディレクターなどスクウェアエニックス在籍時BALAN WONDERWORLD(2021年、WindowsSwitchPS4PS5XBOneXSX)ディレクター



































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